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 寺から郷里の家に戻る。今日は和尚の同夏ばかり十七名だつた。衆禮とは一種の餘行演習である。配役と進行の確認をするのだ。

 無論忙しい老師は今日は夜遲く到著するので參加出來ない。で、同夏の一人が戒師役を務めるのだがマルコメの小僧が其儘大きくなつた樣な坊主だつた。笑ふ樣は平櫛田中の呵々大笑然乍らで何か滑稽である。

 同夏は必ずしも同年とは限らないが、今は發心して雲水になる人は少なく大抵は寺の跡繼ぎだから大體學業と竝行で掛塔するので殆ど同年である。しかし其割には皆若い。本來ならば中年の筈だが皆青年僧と云へる。まあ坊主だから髪の薄さが判らない事も有るが。

 四十二年前の先代和尚の時の衆禮も見たが、此方は同夏と法類が殆ど一致してゐた。此は鎌倉の本山に掛塔したからである。今の和尚は「けんねんさん」なのでどうしても同夏は西の人が多くなる。自分の知る人は相國寺派の一人丈だつた。

 其四十二年前のアルバムが置いて有り幸ひに檀家や法類との寫眞は這入つてゐなくてホツとした。當時はビデオは撮つたが寫眞は撮つてゐない。大半がモノクロームなのも時代を感ずる。

 其一年前の晋山では撮影等は一切せず一檀家として集合寫眞に収まつてゐる。寫眞以上に實物の方が色褪せてしまつてゐるが。